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虚数の情緒 その1 [Book]

虚数の情緒―中学生からの全方位独学法 1,000ページで1.3kg。若者が持てば腕が鍛えられ、おやじが持てば肩がこる。通勤電車で読むには重すぎだ。

大上段に振りかぶった巻頭言は、何かの冗談かと思えるほどだが、作者は本気だ。1,000ページは伊達じゃない。第0章に入っても勢いは全く衰えず、熱い教育論が繰り広げられている。内容はいちいち尤もだとうなずかされることばかり。夢と現実のバランスについて、若者ならば夢が9割、現実1割でちょうど良い。そして、二つの選択肢があって迷ったときは、より困難な方を選べと説く。熱いぞ!

第0章の終わりには、自分と同じ考えが述べられていて、ちょっと長いが引用する。
 ここでもう一つ、注意しておきたい事がある。たとえば、友人がある事柄―スポーツでも教科でも趣味でも何でも構わない―を一年で物にした、としよう。その同じものに対して、諸君が二年三年を費やして、漸く理解できたとしても、それは何の恥でも無ければ、引け目を感じる必要など一切無いのである。それは、諸君がその友人に対して、努力を半分しかしなかったか、或いは頭の回転が半分程度であったか、という唯それだけの事である。然し、友人達が易々と処理していくものを、横目で睨みながら何の努力もせずに逃げ出したとしたら、少々問題は変わってくる。
 二つの大きな相違は、前者は努力や能力の差が、「凡そ半分」或いは「三分の一」という数値で示されるのに対して、後者は「彼らは途轍もなく偉い」といった感情的な言葉でしか評価できない点である。
 要するに、十年かかろうと二十年かかろうと、何時の日か、それを理解出来れば好いのであって、人生は早熟だけが高得点になるような時間制のゲームではないのである。
勉強にせよ、何にせよ最後まで止めなかった者の勝だ。こうした観点でなみぞうやたく丸を見れば、出来るようになるまで時間がかかるという自覚があって、コツコツ取り組むタイプのなみぞうは心配ない。問題はたく丸だ。何でも器用にこなしてしまう分、少しやって出来なければ諦めてしまう恐れがある。自分には無理かもしれないという気持ちと闘いながら努力を重ね、ついにある日突然できるようなるという達成感をどこかで、できれば早いうちに積んでおきたいんだけどな。

話はそれるが、なみぞうやたく丸が通った小学校では漢字検定のテストをやっていて、二、三年前から一般も受検が可能になった。女房はその時からチャレンジを始め、3級、準2級と来て今年は2級を受検する。四字熟語を苦手とする女房に、これまで意味を聞かれて答えていたのだが、今年は答えられないものが多い。おやじの語彙における優位性は風前の灯だ。勉強しとらんもんな、おやじは。
送り仮名の問題で、陥れる弄ぶが書けなくて、「(人を)陥れたり、弄んだりしないからねえ」と言う。そりゃそうだろうけど・・・

閑話休題。普通の数学書なら前書きに相当する第0章までで120ページ。あまりにも長い前書きだが、本書においてはこれが最も重要な部分にも思える。細かな誤りはあるし、それはどうだろうといった部分もある。論旨は一貫しているか、論理に破れはないかといった見方をしないまま、語りの勢いに引きずられて一気に読んでしまった。でも、それでいいだろう。筆者の情熱は十分に伝わるから。

自然をつかむ7話 (岩波ジュニア新書) 第1章からようやく数学の話になる。自然数、整数、有理数、無理数、実数と進むのは一般の数学啓蒙書と同じ内容だが、紙幅が足りないことを理由にしないとあるように説明は丁寧だ。寄り道も多い。映画「2001年宇宙の旅」の話は、0章の宇宙の歴史の話と合わせて、岩波ジュニア新書の自然をつかむ7話と読み比べれば面白い。音階の部分も良かったが、波を学習する前にに出すのはちょっと苦しいかもしれない。


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